朝、コーヒー豆の袋を開けたときにふわっと香りが立つ。その香りは、豆が生まれた瞬間からずっとあったものではありません。畑で摘まれた実から、袋の中の豆になるまで、いくつもの工程を経て初めて生まれる香りです。ここでは、コーヒーが一杯のカップに注がれるまでの道のりを、時間の順を追って見ていきます。
生豆が袋に入るまで、収穫から乾燥までの工程
コーヒーの味の土台は、実は焙煎前の「生豆」の段階でほぼ決まっています。焙煎はその土台を引き出す工程であって、ゼロから味を作るわけではありません。
コーヒーの実は赤く熟した果実で、見た目はさくらんぼに似ています。収穫後、まず果肉を取り除く作業が入ります。ここで水洗式にするか自然乾燥式にするかで、同じ品種の豆でも味の傾向が変わってきます。水洗式は果肉を発酵槽で洗い流してから乾燥させる方法で、すっきりとした酸味が出やすいとされます。自然乾燥式は果肉ごと天日で乾かす方法で、コクや甘みが乗りやすいと言われます。
産地の農園では、収穫した実を庭一面に広げて天日干しにする光景がよく見られます。乾燥には1週間から2週間ほどかかり、豆はこの間に緑がかった色に落ち着いていきます。この状態の生豆はほとんど香りがなく、噛んでも硬くて味気ないものです。乾燥が終わると、大きさや欠点豆を選別する工程に入り、規格に合った豆だけが袋に詰められて輸出されます。
ここで迷いやすいのが、豆の規格(スクリーンサイズや等級)がそのまま味の良し悪しを示すと思われがちな点です。実際は規格が高くても好みに合わない味の豆はありますし、規格が低めでも独特の風味が気に入られることもあります。精製方法や品種、標高といった条件が複雑に絡み合っているため、規格だけで判断しきれないのが生豆の面白いところです。
焙煎という工程で豆の中に何が起きているか
生豆を火にかけた瞬間から、香りのない緑の豆が、コーヒーらしい香りと苦みを持つ茶色い豆へと変わっていきます。この変化を起こすのが焙煎という工程です。
焙煎機の中では、200度前後の熱風やドラムの熱で豆が絶えず撹拌されます。豆の内部の水分が抜けていくと同時に、糖とアミノ酸が反応する「メイラード反応」が進み、香ばしい香りの成分が次々に生まれます。焙煎が進むと豆の中で炭酸ガスが発生し、ある時点で「パチッ」という音とともに豆がはじけます。これを一般に「1ハゼ」と呼び、さらに焙煎を続けると「2ハゼ」という二度目のはじける音が聞こえてきます。この音を目安に、浅煎り・中煎り・深煎りといった焙煎度合いを決めていきます。
焙煎機の中で豆がパチパチと音を立て始める瞬間、色は緑から黄色、茶色へと数分おきに変化していきます。10分から15分ほどの短い時間の中で、香りも味わいも大きく変わっていくのです。同じ豆でも焙煎士の判断ひとつで、まったく違う一杯に仕上がります。
ここで誤解されやすいのが、「深煎りは味が濃い」という思い込みです。深煎りは苦みが強くなる方向に振れるだけで、必ずしも味全体が濃くなるわけではありません。酸味を楽しみたいなら浅煎りのほうが向いていることも多く、好みの方向性によって選び方は変わります。また、焙煎してからの経過日数、いわゆるエージングによっても味は変化します。焙煎直後は炭酸ガスが多く残っていて味が落ち着かないため、数日置いてから淹れたほうがまろやかになる豆も少なくありません。
挽くタイミングと粒度が味を左右する仕組み
豆を挽いた瞬間から、コーヒーの酸化は一気に進み始めます。淹れる直前に挽くのと、あらかじめ挽いておいた粉を使うのとでは、香りの残り方に明らかな差が出ます。
豆の内部には、焙煎の過程で生まれた炭酸ガスと香り成分が閉じ込められています。挽くことで豆の表面積が急激に増えるため、それまで閉じ込められていた成分が一気に空気に触れることになります。粒度が細かいほど表面積はさらに広がり、抽出は早く、濃く出やすくなります。逆に粗く挽くと抽出はゆっくりで、薄めの仕上がりになりやすいのです。ドリップ、エスプレッソ、フレンチプレスといった器具ごとに適した粒度が異なるのは、この抽出のスピードを調整するためです。
豆を挽いた瞬間、キッチンにふわっと香りが広がる瞬間があります。ところがそのまま10分ほど放置しておくと、香りは体感でも半分ほどに減ってしまいます。挽きたてにこだわる人が多いのは、この香りの逃げ足の速さを知っているからです。
とはいえ、粉で買うことが一律に良くないわけではありません。毎日少しずつしか飲まない人にとっては、豆のまま保存して都度挽くほうが管理の手間がかかることもあります。器具を持っていない、挽く時間が取れないといった事情がある場合は、信頼できる店で挽いてもらった粉を、できるだけ早く使い切るという選び方でも十分に楽しめます。挽きたてが絶対条件というわけではなく、飲むペースと相談して決めるのが実際のところです。
お湯を注いでから一杯になるまでの抽出の仕組み
同じ豆を使っても、お湯の温度や注ぎ方、蒸らし時間によって味はまったく違うものになります。これは、コーヒーの成分がお湯に溶け出す順番があるためです。
抽出の初期には、酸味や華やかな香り成分が先に出てきます。続いて甘みに関わる成分が溶け出し、時間が経つにつれて苦みや渋みといった、いわゆる雑味の成分が出てくるようになります。ドリップで最初にお湯を少量だけ注いで20秒から30秒ほど待つ「蒸らし」の工程は、豆の中に残る炭酸ガスを抜き、そのあとのお湯が均一に粉全体を通るようにするためのものです。蒸らしを飛ばしてすぐに大量のお湯を注いでしまうと、抽出にムラが出て、薄いところと濃いところが混ざった味になりやすくなります。
ドリップの現場では、蒸らしの間に粉がふっくらとドーム状に膨らむ様子が見られます。新鮮な豆ほどガスが多く残っているため、よく膨らみます。そこから3分ほどかけてお湯を細く注ぎ続け、最後の一滴が落ちるまでを見届けると、香りと味のバランスが取れた一杯に仕上がります。
ここで判断が分かれるのが、蒸らしても粉がほとんど膨らまない場合です。これは豆の鮮度が落ちているサインであることが多いのですが、深煎りの豆はもともとガスの残り方が少なく、新鮮でもあまり膨らまないことがあります。膨らみの少なさだけで一概に鮮度を判断しきれない点は、覚えておくと迷いが減ります。お湯の温度についても、高温だと苦みや雑味が出やすく、低めだと酸味が際立ちやすいため、豆の焙煎度合いに合わせて調整するのが基本になります。
淹れたあと、味はどう変わっていくのか
コーヒーは淹れた瞬間が完成形ではありません。冷めていく過程でも味は変化し続けますし、飲みきらずに残った豆も、開封した瞬間から少しずつ劣化が進んでいきます。
淹れたてのコーヒーは香り成分が活発に立ち上っている状態です。時間が経ち温度が下がるにつれて、揮発しやすい香り成分が先に抜けていき、代わりに酸味や苦みが相対的に強く感じられるようになります。淹れたては華やかだったのに、冷めた頃には酸っぱさが目立つように感じるのは、このためです。豆の保存についても同じ仕組みが働いていて、酸化と香りの揮発によって、常温に置いた豆は数週間のうちに風味が落ちていきやすいとされています。冷凍や冷蔵で保存する方法もありますが、袋から出し入れするたびに温度差で結露が生じ、湿気を吸ってしまう点には注意が必要です。
朝に淹れたコーヒーを机に置いたまま午後まで放置してしまい、飲もうとしたら香りも味もすっかり別物になっていた、という経験がある人は多いと思います。これは特別な失敗ではなく、コーヒーという飲み物が持つ性質そのものです。
ここは好みが分かれるところですが、焙煎したての豆をすぐに淹れるより、数日置いて炭酸ガスを落ち着かせたほうが飲みやすいと感じる人もいます。逆に、挽きたての香りの強さを重視して、焙煎から日が浅い豆をあえて選ぶ人もいます。保存方法や飲むタイミングに絶対の正解があるわけではなく、豆の焙煎度合いと、自分がどのくらいのペースで飲み切るかによって、ちょうどいいやり方は変わってきます。

